泣寝入りより前を向いて歩こう

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撮影:2015年11月1日朝7時 東京大学本郷キャンパス安田講堂

 

2015年10月31日(土曜日)に東京大学ハラスメント防止委員会が15-1号案件のために設置した全学調査班の報告書が届きました。

調査報告書に「丸川知雄教授が申立人の私に謝罪をすべきであったことが指摘できる」とも書いてありませんが、でも何も救済措置をとってくれませんでした。

一晩眠れなくて、11月1日(日曜日)の朝に始発電車に乗って、大学に来ました。

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日曜日に学校に来ても、訴えようとしても、誰もいないはずだと知っていましたけど、来ちゃいました。

三四郎池の前で、全学調査班班長小森文夫教授が丸川知雄教授を庇うために「全学調査班報告書」に書いた内容、8月3日に小森文夫教授が「社研のことについて我々報告することできないですかね。できないですね」と仰った時の顔、次々と浮かび上がってきました。

池を眺めて、絶望感が襲ってきて、いっそう死んでしまったほうが楽かもと思っていました。

でもなぜ?なぜいじめを受けている私が死ななければならないですか。死んだら、本当にほっとするのは私をいじめた彼らでしょう。

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池、浅いなぁ、これで死ねないかな、これで、死んでも死にきれない、って思って...ずっと池の前で立てました。

三四郎池、相変わらず、綺麗なぁ。死んだ人は何も見えない、聞こえない、話せない。病死の人たちと比べると、私はまだ選択できる、生きるか死ぬか。生きているのであれば、何かできるかも、少しでも進めるかも

帰ろう、少しでも睡眠をとって、目覚めたら、現実に向き合おう。

それで、安田講堂の前を通った時に朝日をみました。私はまだ生きています。

アカデミーハラスメント・パワーハラスメント行為をした丸川知雄教授と隠ぺい・差別行為をした小森文夫教授を許しません。

全ては解決に向かって走っています。

全ては解決に向かって走っています。

道は予想より長いですけど、もう立ち止まることはしません。

アカデミーハラスメント・パワーハラスメント行為をした丸川知雄教授と隠ぺい・差別行為をした小森文夫教授を許しません。

去年の今頃いただいたアドバイスに従います。


生きて、ハラスメント・いじめと戦おう。

最近、これまでの記録、証拠となる書類を読んで、録音を聴いて、死にたいほど辛いけど(死んだ瞬間楽だと感じるかもしれない)、電通の高橋まつりさんみたいに死んでしまったら、もう何もできない、聞こえない、話せない。これで死んでも死にきれない。

頑張って生きて、社会科学研究所丸川知雄教授や物性研究所小森文夫教授のあるまじき行為を公開する。

生きてハラスメント・いじめと戦おう。

また一例

電通の後、また一例です。

https://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20170927-00006732-bengocom-soci&s=create_time&o=desc&p=1

こちらも、丸川知雄教授のアカデミーハラスメント・パワーハラスメント問題と小森文夫教授の隠ぺい行為・他人を差別化した問題を解決しなければなりません。

誰もほかの人にいじめられるためにこの世に生まれたわけではありません。

申し立てると思ってた時に、もう心を決めました。

全ては覚悟の上です。


丸川知雄教授との仕事関係のメールが年間700通以上もありましたが学生として研究指導は断られました

2014年1月月1日から2014年11月15日まで、丸川知雄教授と関わるメールのやりとりは700通以上ありましたが、そのなか、私の研究に関するのはただ十数通で、しかも基本的に丸川知雄教授が一方的に研究指導を断った旨のメールです。残る700強のメールは全部社会科学研究所の仕事関係のもので、中には私の人格を否定したメールもありましたが、ほかの人へのメールで、私をCCに入れて、ほかの方の前で私の人格を貶めたのもありました。

 

私は東京大学のいわゆる事実調査班に「2012年4月以来、3年間で研究指導を私が受けたことは一回しかありませんでした。ほかの時に丸川知雄教授に研究指導を断られました」、「丸川知雄教授との仕事関係のメールが年間700通以上もありましたが研究指導は断られました。」と申し立てましたが、

小森文夫教授:そこも認識が違うところで、丸川先生としては退職したいということで全部引き継ぎしたんですけども、また体調がよくなれば戻ってくる、また仕事に復帰するんではないかと考えていたということなんですね。

私:私、メールで丸川先生に申したのは、毎日学校でいじめを受けて精神的に耐えられないので仕事を辞めさせていただきます。

以上は2015年8月3日の反訳の一部です(録音あり)。

小森文夫教授は事実調査班班長で、東京大学物性研究所所属です。

実際に当時丸川知雄教授がメールで私の退職にオーケーを出しましたが、裏側で社会科学研究所の係りに指示を出して、私のことをずっと「無断欠勤」としました。

次回、東京大学事実調査班との面談の反訳のほかの部分を紹介します。

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報告できない・対話しない小森文夫教授(全学調査班班長)

丸川知雄教授に論文指導を拒否されたり、いじめられた私は、最初に事件をより穏便に解決してもらいたいと思って、東京大学の委員会にハラスメント苦情を申し立てました。全学ハラスメント防止委員会が申立の内容および証拠に基づいて全学調査班を設置しました。

しかし、全学調査班は公正に調査を行わずに、共感を作ってくれるところが、証拠捏造や事実隠蔽などのあるまじき行為ばかりしていました。私は何度も人事を通して「事実(証拠)に基づいて全学調査班との対話を通じて、問題を解決したい」とお願いしましたが、全学調査班に一方的に無視されていました。その中、最も責任があるのは全学調査班班長の小森文夫教授です。

東京大学ハラスメント苦情15-1案件に関わる人物のなかで、加害者の丸川知雄教授の次に、小森文夫教授が最も許せない人です。小森文夫教授が調査班班長の身分(私と全学ハラスメント防止委員会との間の架け橋という役割)を悪用し、全学ハラスメント防止委員会に真実を隠蔽し、加害教授を庇うために、学内で立場の弱いの私を振り回して、私の大切な数年間の人生をめちゃくちゃにしました。丸川知雄教授の次に、私に莫大な苦痛を与えてくれた人は小森文夫教授です。

丸川知雄教授と小森文夫教授を絶対に許しません。

 

小森文夫教授が二つの顔を持っています。二回の事実聴取で私が会った小森文夫教授が全く別人です。2015年6月9日から2015年8月2日まで、小森文夫教授にまたは小森文夫教授の周りに一体何かが起きたのでしょうか。時の流れとともに、全ての真相が明らかになるのです。

小森文夫教授とのやり取りは2015年5月25日に東京大学人事部労務・勤務環境課 勤務環境・共済チームが送ってくれた以下の文書から始まったのです。2015年4月6日に申立書を東京大学ハラスメント防止委員会に提出してから、私はずっと一生懸命に研究課題に取り込んでいました。2015年4月から6月頭まで新しい指導教官が二回の研究会(研究課題発表会)を設けてくださったのでした。2015年3月までに、丸川知雄教授および社会科学研究所の石田浩教授、佐藤香教授をはじめ数名の教授から脅迫やいじめを受けていましたが、2015年4月から申し立てながら、新しい指導教官のご指導の下で、新しい研究生活を始めようと頑張っていました。

ところで、2015年5月25日に大学の人事から連絡があり東京大学ハラスメント苦情申立15-1案件に関して、2015年5月21日に事実調査班が設置され、物性研究所の小森文夫教授が班長に任命されたということです。

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2015年6月8日に、東京大学の山上会館にて1回目の事実聴取が行われた。座り方は下図の通りです。私を含めて、会議室に7人でした。小森文夫教授の最初の印象は同人のホームページの写真の通りでした。

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とにかく、1回目の事実聴取が無事に終わりました。終了後、意外なことに、長嶋あけみ相談員が珍しくて私の近況を聞きました。2月半ばまではまだ私に申立を諦めさせていましたのに。

201569日から78日まで大学から何の連絡もありませんでした。

2015716日(木曜日)東京大学人事部労務・勤務環境課 勤務環境・共済チームから連絡があり、83日に2回目の事情聴取が行うと伝えられた。

2015831330分~15時まで、本部棟12階中会議室で全学の事実審査班の三名の方と2回目の事実聴取を行った。人事部の係り二名、長嶋あけみ相談員が同席した。座り方は下図の通りです。

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1回目の事実聴取では、小森文夫教授、I准教授、OKさんの順に私に質問するという形でした。しかし、1回目の事実聴取では、I准教授が一回だけ質問して、OKさんが二言三言発言して、残る時間は全部小森文夫教授1人が話したり、質問したりしていました。私は丸川知雄教授のハラスメント行為を数件申し立てましたが、2回目の事実聴取では、小森文夫教授がその中の一件について、数十分を使って、丸川知雄教授のハラスメント行為の理由を弁明した(丸川知雄教授が私を罵った前に、記憶が曖昧だったから、誤解していたからなどなど)。その場で、私は目の前の小森文夫教授が全学事実調査班班長としているのか、それとも丸川知雄教授の弁護人として発言していたかという疑問をもっていました。

その場で、私が小森文夫教授に聞きました:「教授たちが後で記憶が曖昧だったとか、誤解とかと言い訳をして、恣に学生を虐めることができるということでしょうか?」

小森文夫教授がはっきり返答してくれませんでした。

 

2015年8月3日2回目の事実聴取の時に、私が全学調査班に「博士課程三年間、丸川知雄教授に何度も論文指導、研究指導をお願いしましたが、結局三年間に論文指導は一回だけで、30分の面談だけでした。それ以外に丸川知雄教授にずっと指導を拒否されていました。」と申し立てましたが、小森文夫教授「時間の問題ではなくて」「ですから、博士論文というのは自分で頑張るもんだというのが丸川先生の認識だということですね」と返答してくれました。

 

2015年8月3日2回目の事実聴取の時に、私が社会科学研究所の事実調査班及び石田浩前所長との面談の録音データを提出した。私の陳述を聞いて、全学事実調査班班長小森文夫教授が「社研のことについて我々報告することできないですかね。できないですね」と仰った。小森文夫教授の言葉に非常にびっくりしましたが、その日小森文夫教授の最初からの態度に合わせて考えると、小森文夫教授丸川知雄教授の立場で丸川知雄教授の代わりに言い訳をして、丸川知雄教授および社会科学研究所の不正行為を全般的に隠蔽する姿勢もはっきり分かりました。2015年6月9日から2015年8月2日までの間に、何かが小森文夫教授に全学調査班班長から丸川知雄教授の弁護人に変身させました。

2015年10 月31日に東京大学人事部労務・勤務環境課 勤務環境・共済チームが郵送した「全学事実調査班報告書」が届いた。「報告書」に丸川知雄教授の問題点がいろいろと指摘されたが、証拠変造・事実隠蔽などの(意図的に丸川知雄教授を庇う)ところをたくさん発見しました。証拠変造・事実隠蔽のほかに、たとえば下図の丸川知雄教授からのメールについて、全学事実調査班(小森文夫教授)は「このメールは学生指導として書かれたものと認定できる」と報告書(全学事実調査班報告書7ページ目下から9行目)に書きました。

ちなみに、東京大学社会科学研究所の調査報告書には丸川知雄教授のこのメールについて「不必要に強圧的な表現が含まれている」と書いてある。

 

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2015年10月31日に届いた「全学事実調査班報告書」と2015年4月8日に届いた「社会科学研究所調査報告書」を読み比べ、同じ事件に対して丸川知雄教授の説明(詭弁)が全く違うというところが沢山ある。メールで本件担当理事南風原朝和教授に報告書への異議を申した。

 

しかし、あれから今まで「全学事実調査班報告書」の証拠変造・事実隠蔽などの問題点について、小森文夫教授から一言の説明ももらっていません(私は人事を通して何度も報告書への異議を小森文夫教授に申しましたが)。

小森文夫教授丸川知雄教授を庇うために、全学調査班班長の身分を利用し、わざわざ私を2回目のいわゆる「事実聴取」に呼び出した。2015年4月以前は丸川知雄教授が私をいじめていましたが、2015年6月以降小森文夫教授が全学委員会に真実を隠して、申立人の私を振り回して、私の2年間の大切な人生をめちゃくちゃしました。

申立のことは公正に解決されるまでは、諦めません。

私と大学委員会との会話機会を壊していた小森文夫教授も許しません。

自分の申し立てた声、これまでの真相が届くべきところに届けるように、諦めずに頑張ります。

東京大学丸川知雄教授は「ちょっとコピペをしたことぐらいは気にしません」とメールで院生に苦言を呈する

 丸川知雄教授はいつも気まぐれで怒ったり喜んだりして、よくわからないが、ほぼ三年前(2014年1月31日)に丸川知雄教授から以下のメールが突然に届いて、家で全身震えるほど戦慄したことはまるで昨日のことのように感じている。

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 2014年の春になると、博士課程三年生になる私は、査読論文の投稿を必死に頑張っていた。2013年年末に一本投稿したが、2014年1月末に学会から連絡があり、「再提出再審査」という査読結果を受けた。その後日に、私は当時の指導教員の丸川知雄教授に相談に乗っていただくために丸川知雄教授のオフィスに伺った。東京大学社会科学研究所の6階にある丸川知雄教授の大きなオフィスで、ソファーに座ってくつろいだ丸川知雄教授が査読結果報告書をさっさと目を通して、私に向かって「自分で頑張れば」とさげすんだように笑った。「はい、わかりました。自分で頑張ります」と返事した私はとてもがっかりした。2012年4月博士課程に進学してから、丸川知雄教授に私の研究課題についてアドバイスをもらったのはただ一回だけでした。この先どうすればいいのかが分からなくて心細いが、でもしょうがないやぁと思って、なんくるないさと自分を励ました。
 ところで、その翌日に丸川知雄教授から「昨日の話し合いについて」というメールが届いた。
 えっ?!......昨日会ってからまたアドバイスをお願いしたりご迷惑をかけたりしたことは一切ないのに、なんでだろうと驚きながら、メールを読んで、気が付いたら、涙がぽろぽろこぼれた。
 丸川知雄教授のメールを読んで、「苦言を呈したい」と言われたことは見覚えがある。毎週水曜日午後に丸川知雄教授担当の東アジア産業論という授業がある(丸川知雄教授がゼミだと呼ぶ)。丸川知雄教授がメールに書いてあるナビールという人(ナビール・A・マンチェリ Nabeel A.Mancheri)は2013年秋にインドからやってきた社会科学研究所の訪問研究員である。
 正確に言うと、PhDのナビール・A・マンチェリ(Nabeel A.Mancheri)さんは日本学術振興会の特別研究員として東京大学社会科学研究所丸川知雄教授(アジア政経学会学会理事)に受け入れられた研究者である。
 丸川知雄教授からメールをもらった少し前のある水曜日、ちょうどナビールさんの番で東アジア産業という授業で皆さんに報告するということであった。ナビールさんの報告(英語)を聞いているうちに、違和感というよりも、どこかで聞いた(読んだ)ことがあるのではないかと思いながら、私は自分が事前に授業のトピックについてネットで調べて印刷してきた資料をチェックしたところを、やはりナビールさんが皆さんに配ったレジュメのところどころはネットで掲載された他人の書評のコピーでした。一部のところ、一段落そのままコピーされたことはさすがにびっくりした。このナビールさんが一応博士号も取ったし、日本学術振興会の特別研究員だし、授業でみんなの前でこのような大胆な行為というのは......
 丸川知雄教授に話すか、それとも見て見ぬふりをするか。でも話さないと、もしナビールさんがほかの場所で同じことをやって発見されたら、丸川知雄教授がナビールさんの受入研究者だし、丸川知雄教授や丸川知雄教授の研究室のメンバーたちや東アジア産業論に出席する学生たちが疑われることになるかも。やはり今のうちに話したほうがいいと、二晩悩んで、私は丸川知雄教授に話すことを決意した。
 その次の水曜日、授業の後に、私は丸川知雄教授と個別に話すチャンスを捕まえて、丸川知雄教授にナビールさんのレジュメとナビールさんがコピーした書評を見せて、「先生がほかの場所で一対一でナビールさんに注意したほうがいいではないと思いますが。大学の授業でコピペするのは不正行為です」と申し上げたが、丸川知雄教授が「これは別にいいんだよ」と、くるりと背を向けて行ってしまった。
 それがそれで、この件はそのまま終わったとと思いきや、後日のこのメールで丸川知雄教授に苦言を呈された。震えながら、丸川知雄教授のメールを読んで、自分は何が悪いかが分からなくなった。丸川知雄教授と授業参加者の皆さん(もちろん自分も含めて)のために言っているし、しかもナビールさんの面子にもいろいろと配慮していたから、丸川知雄教授と個別に話したし。丸川知雄教授に「別にいいんだよ」と言われてから、この件について、私は一言も言ってないし、何で、今さら私が叱られたの。
メールの最後を読んで、さらに訳わからなくなってきた。
 「博士課程なのだから、ゼミや授業にまじめに出ることが重要なわけではないのです」
 「およそ自分の関心時以外については学問的なコメントをすること全くなく、果たしてそんなことで研究者になっていいのか」
 これ、言ってることが矛盾しているんじゃないの...
 丸川知雄教授はただメールで私を罵りたがるのでしょうか...